思い返せば6年前・・・
「tomo(私)はもっと『幸せになりたい』と思ってもいいと思うよ」
と友人に言われたことを思い出す。
当時、29歳の私、10歳下の男の子と恋愛ごっこのようなことをしていたとき。
楽しそうに友人に話したその日の電車の中の帰路での言葉でした。
実際楽しかったのに、その子は私が無理をして楽しそうにしていると思ったのかもしれない。
幾度となく、別の友人♂にも
「もっと自分を大事にしろ」と言われたこともある。
周りから見ると、私は「自分を粗末に扱い」「幸せに無頓着」なんだと思う。
客観視するとそうかもしれない。
なんでだろうと紐解くと、「誰から見ても幸せと言われる人生」を思い描いたことがないからかもしれない。
昔っから人とは違うことがやりたくて、実際、自分でも人とは違う人生になりそうだと想像していた。
だから、「好きな人と結婚して、その人の子どもを産んで、幸せに暮らす」という一般的に幸せな人生を想像すると、何か大きな代償がきそうなくらい、私とっては夢のまた夢。
↑ これってメッ●ンジャーのあいはらさんが同じことを言ってたんだよね。嫁と結婚出来ただけでも自分には不釣合いな幸せなのに、子どもを作るなんて・・と数年子どもを作ることに前向きに慣れなかったみたい。
話がそれましたが、私にとっても「好きな人と結婚してして子どもを産んで・・」という生活は、宝くじの1等が当たるくらい現実味を帯びていない。
ふつうの人(?)が上に書いたような人生が幸せ度80%くらいだとすれば、私は200%をたたきだしてしまうだろう。
ふつうの女子は、自分は好きな人と結婚出来ると、それが誕生日がくれば歳を取るのと同じくらいあたりまえのことなのだろう。
かといって、今の人生が不幸かと問われるとそれがまったく不幸ではないのだ。
だから余計に厄介なんだろう。
現状不幸だと感じていれば、そこから脱する努力をするなり、現実逃避でもいいから幸せな未来を想像するかもしれない。
今までの私はといえば、むしろ、一生独身人生を想像していた。
ところが、今好きな人と知り合ってから、違う道(つまり一般的に幸せと言われる道)を想像してしまった。
物心付いた頃から幸せ人生を思い描いたことしかない一般的思考の人なら、私の年齢35歳くらいになると、そのことが実現していない現状に不幸を感じ、ある人は婚活、ある人は引き篭もるのかもしれない。
「夢は願い続ければ叶う」ということがあるとすれば、私にはそれが足りない気がする。
本当はものすごく、好きな人と絶対に結婚したいのに・・・
もし、このまま一人だとしても、まぁ元々想像していたしな、なんてどこかで諦めているのかもしれない。
そうだとすれば、その逃げ道を排除して、夢を現実のものにしたい。
少し怖いけど、絶対に幸せになると決めるのだ。